2013年6月11日火曜日

8日目ベルリン、ポツダム


ドイツ旅行の最終稿になりました。
最終地がベルリン、何か思い出深い1日になりました。
ドイツ、ヒットラー「良きにつけ悪しきにつけ有名人ですよね」オーストリアに生まれ・アーリア人至上主義、独裁者、多くの人を殺し、1945年4月30日午前2時長年の愛人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙げ午後3時ヒットラーは銃で、エヴァは毒で自殺し火をつけ亡くなりました。
1945年5月8日降伏。占領下ドイツは2分され悲惨を味わいました。

国は東西に2分されベルリン「ナチス、ゲシュタポの本部」は同じく2分され西ベルリンは3分割「米国、英国、フランスの管轄」そして1961年8月13日ベルリンの壁(有刺鉄線)で155KM巡らされ1989年11月10日破壊により統一、1990年10月3日東西統一長い大変な道のりでした。
東、西ベルリンの壁
 
上部に鉄条網がありました。
西に彼女と亡命するのに車体の下にくくって亡命したそうです。
 
ドイツ連邦議会議事堂
ブランデンブルク門6月19日オバマ大統領は「核なき世界」の演説をした。
 
説明を追加古代ギリシャのベルガモンで紀元前2世紀に建造されたと言われる大祭壇
大祭壇の階段から全長100Mを超える浮き彫りの彫刻、神々と、巨人との戦いが題材でヘレニズム期の傑作
 
 
 
 




 

ポツダムへ 

ドイツが降伏前に米国「ルーズベルト~トルーマン(日本に原爆を投下した大統)英国「チャーチル」ソビエト「スターリン」(残虐テロリスト)が頻繁に会談した場所-残念ながら写真撮影できませんでした。
この場所で日本への攻撃も、原爆投下も戦後処理も話し合いされ「勝者が敗者を裁く」、原爆投下を知りロシアは日ソ不可侵条約を破棄し満州に攻め込み大量虐殺、逮捕、戦犯条約を無視し捕虜を肉体労働、シベリアへ抑留又天皇の処遇についても話された場所・・・・・・
日本はロシアに・・・・・・・
 
 

 

 

 

 


 



2 件のコメント:

  1. 先人の生きた時代を味わい充実したドイツでの時間を過ごされましたね。ベルリンの壁とは東西ドイツの国境ではなく、東ドイツの中にあり東ベルリンと西ベルリンを隔てる壁で、西ベルリンに流出する人を阻止するための壁でしたか。勉強になりました。崩壊した壁はバラされ世界各地へ売り渡され日本にも五カ所で展示されてるようですね。勉強になりました。ありがとう!ペルガモン博物館、素晴らしいですね。全部拝見するには相当時間がかかるのでしょうね。アップして頂き有難うございました。まだ見ぬドイツを一緒に旅させて頂きました。

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  2. 最後までお読み戴き有り難うございました。ベルリンの壁について私も初めて知りました。東ドイツ(ロシアの管轄下)ベルリンは東ドイツの中ドイツ国民は同じ民族、自分がその中に老いたら、万一日本が敗戦で同じようになっていたら、
    当時2才の私は知らないが壁が出来た時期、青春時代だった。どうしたか?身につまされました。

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